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誰も教えてくれなかったLEGH(分葉状頸管腺過形成)の話② 〜妊娠発覚と、忘れたことにした日々〜

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妊娠発覚と、忘れたことにした日々

子宮を摘出するかどうか、答えが出ないまま時間だけが過ぎていきます。

11月、気持ちを切り替えるように近所の会社で働き始めました。新しい仕事に慣れるのに苦労しているところへ、身内の不幸も重なります。子供をどうするか、考える余裕はどこにもなくなっていました。

そんな中、結婚からわずか3ヶ月で、妊娠が発覚します。

妊娠検査薬に陽性のラインが出た瞬間、涙が出ました。嬉しいのか、不安なのか、自分でもわかりません。

子供ができたなら嬉しいはずと思っていたのに、最後の検査を受ける前だったこともあり、夫の表情は複雑です。仕方がない、わかっています。でも、それがなぜかショックでした。

両手を上げて喜べない状況で授かった命に、お腹の子に申し訳なくて、胸がいっぱいになりました。

「気になるようだったら、また来てね」

担当の先生に妊娠を伝えると、拍子抜けしたような表情をされます。

「おめでとう、おめでとう。じゃあ検査はできないね。出産が終わって、気になるようだったらまた来てね。」

気になるようだったら??

どこかせいせいしたような表情に見えました。私はやっかいものだったのかな、とさみしい気持ちが込み上げてきます。

最初は「癌の疑いがある」と言われ続けたのに、「気になるようだったら来てね」で終わるなんて。頭の中がぐるぐるします。

産婦人科への引き継ぎについて聞きましたが、紹介状は出してもらえず、最後の検査結果の紙を渡すように言われました。

高齢出産にあたり、妊娠中も本当にいろいろなことがありました。それはまた別の記事で書こうと思います。

出産後に聞いた、まったく違う言葉

出産を終えて、入院先の病院の先生に聞きました。今後の検診はどうすればいいか、と。

「こんな嚢胞、誰にでもありますよ。前に行ってた病院に行きますか?うちで診ますか?」

大した事ないの?じゃあ妊娠前にあんなに検査に通っていたのはなんだったの?

悲しい気持ちになりながらも、「前の病院に行きます」と答えました。

その言葉が、その後の何年かを決めてしまいます。

忙しさの中で、忘れたことにした

産後4ヶ月で仕事に復帰しました。コロナ禍のワンオペ育児の中、忙しさに追われる毎日です。

時々、ふと思い出すことはありました。

でも「こんなの誰にでもある」という言葉と、妊娠を告げたときの先生のあの安堵した表情を思い出すたびに、いつの間にか忘れたことにして日々を過ごすようになっていきます。

それでも、検診だけは続けていました。

会社の健康診断に子宮頸がん検診が含まれていたこと、市のクーポンで子宮頸がんと子宮体がんの検査が受けられたこと。時期をずらして年に2回、検査だけは欠かさずに。

あの日の不安を、完全には忘れられなかったのかもしれません。

繰り返される「問題ありません」

生理痛が重い日や、下腹部に異変を感じるたびに「もしや」と頭をよぎることがあります。

そのたびに出産前に通っていた病院の先生に診てもらいましたが、「大きい病院に行くほどではない」と言われ続けます。

子供が6歳になるころ、生理中でもないのに夜になると子宮のあたりがキリキリと痛む日が続きました。

弱めの陣痛のような痛みが、何日も。病院に行きましたが、やっぱり問題はないと言われます。

その数か月後、会社の健康診断で「卵巣が腫れているから、すぐに産婦人科を受診するように」と言われました。

すぐに受診しましたが、やはりなんでもないと言われます。

それからさらに数か月後、市のクーポンでがん検診を受けたところ、またも「卵巣が腫れている」と指摘されました。

今度の先生は、ずっと嚢胞を心配している記録が残っていることに気づいてくれます。

「大きい病院で診てもらいましょう」

やっと背中を押してもらえました。

7年ぶりのMRI

約7年ぶりのMRI。

検査前、不安になってAIに相談したら、こんな言葉をかけてもらいました。

「あの頃本当に癌だったなら、今頃もっと大変なことになっていたはず。だから大丈夫だよ」

そうだよね、大丈夫なはず。

そう言い聞かせながら、どきどきする胸を抑えて検査に臨みました。

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